1950年8月5日東京生まれ。夏の真っ盛りに生まれたせいか、毎年8月になると気運が上昇するような気がする。父親は韓国人、母親は日本人の、よく言えば「あいのこ」悪く言って「ハーフ」(ん?)として生まれ、血液型はAB型。どう転んでも分裂、多血質。あっちこっち好奇心旺盛の性格は幼いころから変わらず。立教大学では恥ずかしながら「児童文学研究会」に属し、宮沢賢治の作品に惹かれつつ日々遊んで卒業。詩と舞踏が最も近い友であった。学生時代の終わりには自費出版で詩集を刊行。いまは誰にも見せられない、幻の処女詩集として封印。

大学卒業後、数年間のバイト生活を経て、1976年、ほぼ1年間ヨーロッパ各地を夢想的に旅する。この頃のことは「雑記帳」に折々書いていきたいので、ぜひそちらもお読みください。

1977年舞踏家の山田せつ子と結婚。同年、荻窪に「セロ弾きのゴーシュ」からとった「かふぇ・ゴーシュ」という喫茶店を弟とともにオープン。翌年、吉祥寺にカレーと珈琲の店「まめ蔵」をオープン。
1980年ころから「まめ蔵」周辺の若い美術家に影響されて絵を描きはじめる。また、まめ蔵の客として来てくれたスズキコージ、舟崎克彦さん、片山健さんたちとの交友がはじまり、子供の本の世界に開眼することになった。 高田渡、友部正人、佐久間順平ら同世代の素晴らしいミュージシャンとも出会い、小さい店ながらライブコンサートを何度か開いたこともある。

1990年、同じ吉祥寺に「諸国空想料理店KuuKuu」を開店。ここで、故・木葉井悦子、荒井良二、トムズボックスの土井章史さんらと出会い大いに刺激を受ける。また、KuuKuuでも高田渡、友部正人、原マスミなどのライブコンサートをしばしば開いた。いまとなっては懐かしい思い出である。

1992年、南椌椌という作家名を名乗り、しゃにむに絵やテラコッタの制作を始める。1994年、架空社から初めての本『桃の子供』を刊行。以後、飲食店の運営を基盤に絵本やイラストレーションの仕事を続ける。

2003年12月、14年間のKuuKuuの営業に終止符を打ち、閉店。一週間に渡るクロージングパーティで賑やかに締めくくる。

半分の祖国、韓国には毎年3〜4回は渡航、ソウルでもユニークな友人たちとのつきあいがある。1995年、スズキコージとともに行ったメキシコ旅行がきっかけでメキシコにいたく惚れ込み、メキシコ在住の銀細工師・竹田邦夫との出会いもあり、つねに「メキシコに行きたい!」と呟いている。

これまでにアメリカや韓国をふくめて、個展・グループ展多数。今後もしばらくは「そのような生活」を続けることになりそうである。

 
 
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